レッスン時に生徒さんから「震災後、なんだか、やたらとおなかが空く」という話をたくさん伺いました。

実際に飢えているわけではないのに、なぜそのような状況に体が反応するのでしょうか?

飢えは、肉体的空腹感を頻繁に経験する、またはそのことを恐れて生活している人の社会的状況を表現する際に使用される、もっとも一般的な用語であるとされています。

震災後の自販機で、一番最初に売り切れになったのはスープの缶、その次に、果物や野菜のジュース類、最後まで残っていたのが無糖のコーヒーだったそうです。

このことをみても、あきらかに、危機的な状況では肉体的な信号のほうが優先的な立場に立つのではないかと思われます。

なぜなら、自販機の売り切れはカロリーの高い順に売り切れになっているからです。

我々が、今回の震災という事象を通じて生命の危機を感じたことは紛れもない事実です。

これによって、生命の維持欲求が本能的に働いたのも当然のことだと思います。

これは、実際に被害にあわれた被災地の方だけではなく、メディアを通じてその映像を見聞きした人にも大きな影響を及ぼしました。

そして、この生命存続への危機感が、次に来る危機、あるいは、更なる危機に備えてエネルギーを蓄えておこうとする本能的な欲求につながり、「なんだかお腹が空く」というような空腹感を感じさせているのでしょう。

本能的な生命維持欲求が働いているということは、考えようによっては心身が一つになるチャンスでもあります。

言い換えれば、現在の状況では、心が身体の声を聞かざるを得ない状態にあるということです。

しかしながら、身体の声に従ったままでは、人間らしい生活は営めないということになります。

我々は、身体の声を十分に感じて、買い占めてしまったり蓄えすぎてしまったのですが、ここに心の声で働きかけをすることで、心身をバランスよく保つことができるはずです。

考えようによっては、我々は、以前よりもさらに人間らしい営みを目指すことができる。

今回の事象は、そのようなチャンスでもあると思えました。

危機的状況における空腹感は、身体的に正常な反応でありますが、人間は、正しい情報を入手し自己にインプットすることで、その欲求の暴走を止めることができます。

これらが、このような危機的状況において、我々が買い占めてしまったり、やたらと情報を欲しがっている理由の一つであるのではないかと思います。

社会や他の誰かではなく、自分が何を欲求しているのか、何を拒絶しているのか、そのようなことを冷静に認識することで心身をバランスさせることが必要だと感じました。